※詳細な場所は不明。名古屋市北区山田におく。
山田村にある。『尾陽雜記』に引く正徹の自記によれば、(※最低限の現代語訳を加えています)
私が十二歳の年になった頃、伏見院の御所は未だ吊り殿があり、萱葺きの御所などが残っていたという。その御所の庭に咲いていた菊は、少将菊などよりも少し大きく、美しい見た目で、どこにこの種があるのか尋ねてみたが、ついに見つからず、四十余年過ぎていたところ、ある人の仏事で、仏の御前にただ一本この花が立ててあった。はてゝ家の主に尋ねると、この菊は尾張国山田という所にあったのを、一本植えたのだと語る。嬉しくなってひらすら頼み込んでにその株を譲り受け、春の日に西洞院の草庵の庭に植えて、三年ほど人に隠して、秋がくるたびに心を慰めていた。さてどこを見ても、この花は全く無い。「少将より少し大きいので、中将菊と名を授けた」など申して、歌を詠む人々に、短冊をつけて一本ずつ差し上げ、それから十六、七年ほど経っただろうか。享徳元年(1452)九月九日、右兵衞佐が所望したので、掘り移して差し上げれば、
君もまたけふうつしおけ世の中にわがひろめつるきくの一本
(:君もまた 今日写し置け 世の中に 我が広めつる 菊の一本
かえし、
うつしうゑて君がひろめし一本のけふ身にあまる千世のしら菊
(:写し植えて 君が広めし 一本の 今日身にあまる 千世のしら菊
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)