大須観音の近く、浄久寺(現在移っている)の南隣にあった。善篤寺(現在移っている)の末寺。山号は持永山。僧元與の開基で松壽院といったが、寶永二年(1705)十月に今の寺号に改めた。
薬師堂の本尊は霊仏で、延寶の頃(1673-1681)に開帳あった際、凶悪の士(さむらい)がいて薬師信仰の人がその士に出くわした。無礼なりとして一刀に討ち果たし足早に立ち去ったが、斬られた人は、地面に倒れながらも何も変わりなかった。「ひとえに薬師仏が身代わりに立ちなさったのだ」と、さらに信心を深めたという。以来、俗に「きらず薬師」と称して、もてはやされている。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)