親鸞が巡錫した伝承がある。

寺伝によれば、天台宗の慈覚大師が任寿三年(853)に鷲林山(じゅりんざん)薬王寺を創建し、後に廃寺となったが、貞永年間(1232)に帰洛中の親鸞が訪れて民衆を教化して念仏道場となり浄土真宗となって、嘉禎元年(1235)に高弟性信が再建して高雲山報光寺と改めた。性信は下総横曽根門徒の中心人物で二四輩に列し、横曽根報恩寺を建立したため、報光寺はその末寺となった。『覚書』に「江戸報恩寺末寺 報光寺」とあるのは、慶長五年(1600)に報恩寺が江戸へ移されたことによる。

学童疎開

昭和十九年(1944)八月から名古屋市中川区の八熊国民学校(現名古屋市立八熊小学校)の学童疎開を受け入れた。受け入れ先は、古知野町(現江南市)で滝実業学校・永正寺・報光寺・泉徳寺の一校・三ヵ寺、布袋町(現江南市)で宝蔵院・久昌寺・道音寺・常観寺・般若寺の五ヵ寺。本部は布袋町宝蔵院に置かれた。

昭和二十年(1945)五月から名古屋市千種区の東山国民学校(現名古屋市立東山小学校)の学童疎開を受け入れた。受け入れ先は永正寺と報光寺の二ヵ寺。男子生徒は報光寺、女子生徒と三年生で報光寺組に兄のいない男子生徒は永正寺であった。

八熊国民学校は昭和二十年三月十九日午前二時頃の米軍B29により名古屋市街地空襲で全焼し、四月三日に疎開児童を布袋町に終結させることになり、古知野町の宿舎を引き払い、入れ替わりで東山国民学校が永正寺・報光寺に入ることになった。

参考:江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)173、660、661頁

江南市古知野町本郷
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