玉井村にある。享保二年(1717)の秋、当所賀茂社の林のなかを掘ると、突然清水が涌き出し、かつ古い井桁数十片を堀り出した。そのなかの一枚の木に、天平三年(731、辛未)三月五日と刻まれた十字が鮮やかに残っていた。むかし玉の井という清泉があったことはたしかと信じられており、地中で千年余り経て、このように文字も鮮明に木も朽ちず残っていたのは、誠に不思議な事である。

『鹽尻』に、天平は聖武帝の年號、その三年は辛未である。享保二年にいたっては九百八十七年にあたるかとか。むかしの玉の井の跡で清泉が涌き出す。古い木も、土中で水についているが、長く堪えていたという。摂津の橋柱、三州八橋の木を今なお時々堀り出したり、相州箱根湖中にある大杉、いくらも例がある。信州松本近くの藤井村では、古代温泉の跡から湯ぶろを堀り出して湯も涌いたと、見た人が語っていた。この類は世に多くある。玉の井は七月末に堀り改められ、八月二十三日、公府(役所)へその水を献上した。これより多くの人が行って、かの水をくみなさるという。井戸は神主敷地のなかで、神前より右の方であると記す。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)


一宮市木曽川町玉ノ井穴太部4番地
種別