八幡神社の南に井塚という塚があり、毎年七月十六日に祭礼が行われた。里伝では
壬申の乱(672)の際、大海人皇子吉野を出て桑名に向われ兵員を募って後、貝曽根に至り暫く駕(馬車)を駐められ、やがて不破へ向かわれた。里長某(稲川氏の祖)に柳姫という美女があって皇子の傍に侍してよく奉仕した。しかるに皇子に御胤を宿して男子を生んだ。貝曽根は往古より農を以て立ち四囲稲の茂れるより稲ヶ輪の姓を賜い人と名付けた。柳姫には更に御剣を賜う。後これを保存するため、小塚を設け、此の御剣を埋めた。此の塚を井塚という
とある。またこの塚より南方18m程の地に大海人皇子がご滞在中使用された御膳を埋めたと伝える塚があったという

昭和四年の耕地整理の際に塚を附近に移転し、同六年九月に天武天皇御遺跡井塚という記念碑が建てられた。

参考:『二ツ木庄地理考 稲川氏系譜 稿本安八郡史』

大垣市貝曽根町10番地
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