曹洞宗で山号は鎮護山。この地方の曹洞宗の上刹の小牧の正眼寺と関係が深く、応永年代(1394-1428)の開基かと思われる。

鉄地蔵尊

脇本尊として仏壇に安置されている。寺伝によれば、この地の土中より発掘されたと伝えられている。

体躯には左右両側に縦の見切の迹を残し、前面カブセ型は一型であるが、背面スゲ型は、肩、腰、裾の三段に型を用い、それぞれに横の見切線が残されている。背部には光背の取付部が鋳出してあり、5ミリほどの孔が縦に穿たれている。この取付部や両の足先などは、像の全体から見て割合に薄手で小形なところであるが、あまり腐蝕もないところを見ると、土中に埋没していた時間もあまり長い事ではない様である。両側の見切線にちかくスゲ型の部分に型持ちの迹が見えており、左背部には小児の拳大ほどのするどい窪みがある。鋳込のときの窼(そう-小さい穴)の様に思われる。前面の臍(へそ)にあたる部分には、長さ3センチ、深さ2ミリほどの凹処がある、中子ささえの迹で、衲衣はたれたまま下端に達し、両足の先だけは揃えて前方に鋳出してある。両の袖は殆ど同じ高さの処で前方に突出して造られ、原型から鋳型を離隔するに困難な凹みもなく、従ってヨセの迹も見あたらない。頭部と両の手首は当初は同質のもので、鋳継をされたものと推考されるが現在は青銅となっている。最初の作者と後補した人とは、心情の相違とでも言うか、直節虚心の如き風姿のみとめ難いのは是非もない事である。両の手首の接続は無難で左右とも見事な出来栄である。

参考:
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
東海鋳物史稿 綜合鋳物センター刊 全昌寺の鉄地蔵尊 p159 吉原清行著

北名古屋市井瀬木居屋敷
種別