今の土器野新田をいう。往昔、土器を作って調進した所(朝廷や領主に献じる事)で、今も田圃から土器を堀り出す事がある。さて治承(1177-1181)のむかし、師長公を慕ってここまで来た女の事は、枇杷塚の條に記しているのでここでは略す。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)