継鹿尾村にある。真言宗、名古屋大須真福寺の末寺。継鹿尾山八葉蓮臺寺寂光院という。

白雉年中(650-654)道昭和尚の開基。和尚は白雉四年(653)夏五月、遣唐使小山上吉士長丹等に随行して入唐したことが『日本書紀』に記されており、帰朝後に開いた。道昭は日本で最初に火葬に伏された人物である。その後、養老年中(717-724)、天竺(インド)の善无畏三藏が当山に詣でゝ、自らが刻んだ阿弥陀の像を安置し、当國(尾張)鬼門の鎭護とした霊場である。

継鹿尾の由来

そもそも当寺の由来を尋ねると、当郡下野村に山猟を生業とする者がおり、いつもこの山中を狩り歩いていた。ある日、朝から鳥一羽さえ得られず佇んでいると、谷間から一頭の鹿が踊り出てきた。難なく射留めて、かけ寄って見てみると、その鹿の尾から光明が眩しく照り輝いていた。彼は不思議に思い、よくよく見れば、千手観音の霊像であった。やがてこれを当山に安置し、「継鹿尾山」と名付けたのである。今も前坂の岩には、その時の鹿の足跡がくぼんで残っている。

当寺は、古杉や老松が蓊鬱として、閑寂玄隠の古浄刹である。なかでも座禅石から木曽川を見下ろす光景や、籠堂からの西南の眺望は、眼下に青々と広がり、山水の美は筆の及ぶ所ではない。

本尊の千手観音は、当國(尾張)三十三観音の一つであり、出現したという岩窟は裏坂の中央にある伝わるところによれば、日本武尊が化現(仏や神に姿を変えて現れる)して造りなさった尊像で、慶雲三年(706)七月十三日にその姿を現されたという。その際、神が詠まれた歌として、

なるみがた 鹿のつぐ尾にへだてなく 今やなびかん 草薙の宮

と、当寺の古い記録にしるされている。本尊は秘仏であるため、拝観できない。その代わりとして、前立て千手観音が置かれている。その姿は美仏として名高く、京都清水寺の本尊と同形という。

織田信長と寂光院

戦国時代、永禄8年(1565)には織田信長が柴田勝家を伴って参詣した。清須城(当時の信長の居城)から鬼門の方角に当たり、鬼門鎮守の寺として黒印50石、山林50町歩を寄進した。故に信長を中興の祖としている。展望台からは犬山城に加え小牧城や岐阜城(金華山)、天気が良ければ、伊吹山や養老山地~鈴鹿山脈までも見晴らせる絶景ポイント。現在は樹木葬もできる。

別名:尾張のもみじでら

境内にあるモミジは約1000本。特に巨木が多くて葉が細かく色鮮やかに染まるので、見応えがある。紅葉時には駐車スペースに止め様とする車で渋滞している。4月~5月の深緑 の頃若葉が爽やかで鮮やかである。今では「青もみじ」称し、この時期の来訪者も増加している。

石仏の寺

参道は「東海自然歩道」の一部となっていて、到る所で石仏を目にする。そのやさしい姿を見ながら階段を上り下りする。また、階段が無理な方には4人乗りのモノレールが造られており、「待ちボタン」を押すとすぐに来る。

寺宝 

慈覚大師所持の香爐。大日如来・不動尊・毘沙門天、共に運慶の作。また名古屋の士・菅谷氏より寄附の甲冑は、松平右衞門太夫正綱着料の古器である。そのほか寺領織田信長公の朱印。 國祖君(初代藩主徳川義直)御墨印。丹羽五郎左衞門長秀・柴田修理亮勝家・佐々市兵衞等の證文数通。また古縁起書畫の類はたいへん多いが、略す。


『梅花無盡藏』

有花即入門。句題有序略之。  萬里和尚
三人卸笠坐花前。繼鹿尾門並瑞泉。遺恨山房借無硯。數株香雪不留篇。

(:花が咲いているのを見つけ門に入る。句題に序が有るが略す。
三人が笠をおろして花の前に坐る。継鹿尾の門に瑞々しい泉が並ぶ。山房借りたのに硯が無く心残りなことだ。数株の香る雪(白い花)に詩を残せず。

夏日遊繼鹿尾山蓮臺寺。同賦其勝概。贈物意上人。  成瀬正太
上方六月似清秋。平楚蒼々眼界悠。簾外遠望栗山峻。欄前下見蘇川流。梵音響處噪蝉滿。樵唱和時鳴鳥幽。終日松濤吹不巳。納凉忘暑坐林頭。

(:夏の日に継鹿尾山の蓮臺寺(寂光院)に遊び、一同その勝概を詠み、上人(住職)に贈る。
山上の六月は清秋(澄みきった秋)に似て、見渡す限り蒼々として遥かに広がる。簾(すだれ)の外を遠望すれば栗山が高く険しく、欄干の前で目を落とせば木曽川が流れる。梵音響き、騒がしい蝉で満ち、樵(きこり)が唱和する時、鳥の鳴き声とともに奥深い静けさが立ち戻る。終日、松林を抜ける風が吹きやまず。凉しく暑さを忘れ、林の入口に坐る。


『唏髮偶詠』

鹿尾山  岡田新川
佛殿重々聳古岑。攀躋一夜宿祇林。風松奏樂泉聲近。露葉分光月色深。曾有化人停白足。能令長者布黄金。圓通自具眞如相。半偈持來證道心。

(:仏殿は重々として、古くからの険しい峯がそびえ立つ。山をよじ登り(攀躋)、一晩この寺の林に泊まる。風は松楽を奏でて、泉の聲は近くに聞こえる。露で濡れた葉は光を分けて、月の色は深く澄み渡る。かつて、徳の高い高僧(化人)がこの地に白足を停め、長者に黄金を敷き詰めてこの地を開いた。観音菩薩(圓通)はありのまま(真如)の姿を表し、悟りのため命を惜しまぬ覚悟(半偈)を持って、この地を訪れ信仰の心(道心)を証明するのである。

参考
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

犬山市継鹿尾杉ノ段
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