宮地にある。祭神は白山比咩命、菅原道真。養和元年(1181)に後白河法皇の勅願によって祀られ、新熊野社の所領として寄進された。新熊野社は後白河法皇が永暦一年(1160)に社殿を創建し、散在している荘園を寄進した。

池田荘 池田武者所

池田荘を支えていた紀氏は、後鳥羽上皇の武者所に仕え、西面の第一とうたわれ「池田武者所」と呼ばれた。一族は揖斐・世保・席田・平田など土着性の強い土豪と姻戚となり勢力を保ったが、東西勢力に揺さぶられて池田荘から鷺田郷に移り、鎌倉後期には京都側に近づくなど衰えていった。池田荘自体は少なくとも南北朝期までは新熊野領として続いた。池田荘の庄官・斎藤帯刀左衛門の一族は美濃国の目代となって天神社を合祀した。

池田野山 広範囲な村落共同体

池田野山は、上野村(元禄十四年より上田村)など十二ヵ村入会の大津谷山、草深村など八ヵ村入会の大谷山、六ノ井村など六ヵ村入会の鎌ヶ谷、青柳村など八ヵ村入会の禅南寺山、上野(上田村)など七ヵ村入会の粕川原、および願成寺・小寺・般若畑・片山・宮地・草深・青柳・本郷・藤代・田畑・菖蒲池の各村入会の野である。これら二一ヵ村はかつて新熊野社に寄進された池田荘の荘域村々であり、宮地の熊野権現を総社として共同祭祀しており、広範囲な村落共同体を形成していた。祭事には井頭役を始め各村々の名主が立ち会った。

近世以降 兵火に焼かれる

創建以来権現の段に鎮座していたのを土岐頼忠の崇敬によって、現在地に遷座した。慶長五年(1600)の関ヶ原役で兵火に焼かれたが、大垣藩主石川長門守が再興し、続いて藩主となった戸田氏の加護を受けた。例祭は四月十七日。

眞閑寺址

宮地村宮地字村中、熊野神社の西方に地名が残る。龍徳寺の末寺で、文亀二年(1502)以前の神昌院天神遷宮懴法之次第書に眞閑寺鑑首座が見える。

参考
『池田町史 通史編』(岐阜県揖斐郡池田町、昭和五十三年)246、428頁
『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)812頁

揖斐郡池田町宮地865番地1-1
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