三方を湿地に囲まれた台地の突端に位置し、西から南にかけて深い沼地であった。

加茂郡松平(現豊田市)を出自とする松平家は額田郡や碧海郡、西郡に勢力を広げた。岩津を拠点とする松平信光の長兄親長は岩津(此処より北東9.5km)を、次兄源次郎は大給城(現豊田市)を継承した。三兄親忠は安城城を譲られ、ここに安城松平家が創出した。

明応2年(1493)、かつて尾張守護であった挙母の中条氏は南下し岩津を攻撃しようとして、安城城より出陣した親忠と大樹寺南方の井野田で激突し、親忠と岩津勢に挟撃されて中条氏は敗れた。松平氏の長兄親長は幕府政所執事伊勢氏に仕える為京都に在住しており、次兄源次郎も在京していた可能性がある。親長の代理的な立場で戦いを主導した親忠は存在感を高めていった。

愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』(愛知県、平成30年)41-

安城市安城町赤塚
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