西掛所の地、むかしは二子山とて、すこし山野であった。清須より御遷府の時(1609頃)、地をならして今のように平地となり、寺院・商家が立ち続くようになった。
大須二子山古墳は断夫山古墳の後継であると考えられ、犬塚康博氏の研究によれば6世紀前半のものである。墳丘の規模は地籍図から全長138mの巨大な前方後円墳と推定されている。墳丘には円筒埴輪をめぐらしていた。主体部は刳抜(くりぬき)式木棺を安置した竪穴式石室であったと推定されている。副葬品としては画文帯神獣鏡、画文帯仏獣鏡、珪甲、兜、杏葉(ちょうよう)、鏡板、各種の金具が出ている。このように内容が豊富で、春日山古墳、小幡山古墳の二倍の大きさを誇る巨大古墳は、断夫山古墳の後継者の墳墓としてふさわしいものである。
参考:
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)
『大須二子山古墳の復原的再検討 名古屋市博物館研究紀要』
『北区史』