大永年中(1521~7)に、小田井城主久孝の子、藤左衛門寛故が亡父の志をついで、伊勢外宮を祀った郷神明社から、はるか坤(ひつじさる-西南)の方角に、伊勢の内宮を勧請して祀ったといわれている。慶長十七年(1612)に再建した。末社天王社は寛文四年(1664)の造立。
参考西枇杷島町史『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)