余野村にある。臨済宗、京都妙心寺の末寺。山号は大龍山。
文明の頃(1469-1487)、福富國平に射留められて、行方知れずなった小池與八郎の妻女の菩提のために建立して、壽岳和尚を開山とする。よって俗に山姥寺といったという。さて二代目與八郎が、母が亡くなったこと(空しくなる)をいたみ、空母山徳蓮寺と名付けたのを、後年に今の山号・寺号に改める。こうして年忌ごとに法会を行い、弔う事を断絶させなかったが、不思議であるかな、この祥月忌日には、どこからともなく異僧来て、経典を読誦し、終わると消え失せたことが『山姑物語』に見える。当寺の開山壽岳和尚は、安永二年(1773、巳)十月佛通清鑑禪師と勅号を賜った。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)