上加納城

土岐氏の執権 斎藤氏

厚見郡。

文安二年(1445、乙未)八月、土岐持益の執権であった斎藤帯刀左衛門利永(のち越前守と改め、宗輔と號す)が上加納城を築いて居城した。あわせて加納天神社を造営した。なお、土岐氏は革手城に居城していた。

のち斎藤利藤(のち越前守と改め、持是院妙椿法印と号す)が継いだ。土岐成頼の執権で、文明十二年(1480)没す。のち斎藤新四郎利國(法号は持是院妙純法印)が継おだ。土岐成頼、土岐政房の執権で、明應五年(1496)に戦死した。

のち利國の弟である長井豊後守利隆が継いだ。利國、その子利親が戦死し、利國の嫡孫である新四郎利良は幼少のため、明應六年(1497)に竹ケ鼻城から上加納に移った。利隆は土岐政房、政頼、頼藝の執権を務めた。

天文年中(1532-1555)に頼藝は大桑城に移り、のち川手府城は利隆が城代を務めた。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)