小折村にある。曹洞宗、名古屋萬松寺の末寺。山号は嫩桂山。
至徳元年(1384)八月、当所の住人の林某、法名眞觀寺の本願で、實峯和尚が開創し、慈雲山龍德寺と名付けたが、乱世に衰微した。
文明年中(1469-1487)生駒左京進家廣が再興する。その後、生駒家宗の娘が右大臣信長公に嫁ぎ、信忠・信雄、岡崎三郎君の御簾中(家康長男の松平信康の正室)、と三人を産んだが、病没の後、当所の新野という地で火葬され、法號を久庵桂昌大禅定尼と名付く。その居地に瑞々しい桂が二株あって、長くさかえたことから、このように法号したという。さてその菩提を弔う香花の場として雄山和尚が中興し、永禄九年(1566)山号・寺号を改める。
昭和十九年(1944)八月から名古屋市中川区の八熊国民学校(現名古屋市立八熊小学校)の学童疎開を受け入れた。受け入れ先は、古知野町(現江南市)で滝実業学校・永正寺・報光寺・泉徳寺の一校・三ヵ寺、布袋町(現江南市)で宝蔵院・久昌寺・道音寺・常観寺・般若寺の五ヵ寺。本部は布袋町宝蔵院に置かれた。
享保十六年(1731)に開設された。犬山街道沿いでは同十二年に許可された岩倉村に次ぐ六斎市。二月・三月中と、十二月二十日より晦日までの日市だった。なお、12年後の寛保三年(1743)には古知野村にも六斎市が開かれるようになった。
参考
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
江南市教育委員会・江南市史編さん委員会『江南市史 本文編』(愛知県江南市、平成13年)345、660、661頁