橘町大木戸際の西側にある。唐寺で黄檗宗、山城國宇治の萬福寺の末寺。山号は護國山。
寛文十一年(1671)唐僧千呆(號を安立)の草創で、即非禅師を開山とし、法嗣である大休を住持とした。大休が故あって退去し、廃寺となったのを、萬松寺の末刹とし、高顯寺と改めた。
やがて千呆和尚が愁訴して、元禄五年(1692)再び黄檗寺をこゝに建立して東輪寺と名付け、江外和尚を長崎より招き住持とする。
参考『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)