※詳細な場所は全く不明
下小田井村にあり。慶長年中(1596-1615)伊奈備前守の検地があった時、里民に閘(こう:水門)を造る方法を教えて、二箇所の大杁を設けさせたが、その巧みに水道の自由を得た事、万人の目を驚かせた。その後、杁を造ることを規則とする。故に備前林と名付けたが、天明四年(1784)に新川を堀り割りし水筋が変わってこの杁は不用となり、天保の頃には名のみ残っていた。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)