城の東の継鹿尾道にある。日蓮宗、京都本法寺の末寺。山号は一翁山。もとは曹洞宗で天岳寺と称して大本町にあった。兵乱で衰廃したのを寛永十一年(1634)日用上人が造営して、現在の宗とする。
本尊 法華三寶。
七面社、天和二年(1682)日栄勧請。三十番神堂。地蔵堂、寛文八年(1668)建立。
この他に天神神社がある。これは曹洞宗のときから祀る社であるという。
かつて梵鐘(ぼんしょう)があったが、戦時の供出で無くなった。寛永20年(1643)の鋳造と刻銘がしてあった。しかし、その特種な形姿から考えると、江戸時代のものではなく、遠く鎌倉、平安時代と思われる点があり、専門家の研究を要する名物であった。古い時代は無銘が通例であるが、犬山成瀬公の城代、成瀬金兵衛の老女がこの鐘を寄進している。老女が寄進した時に、名古屋の鋳匠、水野第五代太郎左衛門政長が、その権力をもって、その時の年号と自分の名を刻ましたものである。
参考:
『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)
東海鋳物史稿 綜合鋳物センター刊 梵鐘の鋳造費 p252 吉原清行著