標高433mのきぬがさ山山頂に築かれたこの山城は各所に武将の屋敷が配置されている。石段を九折して登る構造で、18の枝城がある。
城主の佐々木承禎は近江国守護で、剃髪前は六角義賢と名乗り六角氏15代当主である。なお、承禎の姉妹は美濃国守護土岐頼芸に嫁ぎ、美濃斎藤氏とは距離を置いていた。永禄11年(1568)に織田信長が将軍家の足利義昭の求めに応じて上洛を開始すると、頼芸は三好三人称と共に織田軍への従軍を拒絶した。永禄11年(1568)9月12日、箕作城が落城し、承禎は甲賀山中に逃れた。この結果、織田軍は戦わずして観音寺城を占領した。森可成・柴田勝家・蜂屋兵庫・坂井右近を奉行に任命し、安堵状を出した。織田軍は上洛し、幕府の実権を握っていた三好氏を一掃し、足利義昭から征夷大将軍に任命されたが、浅井・朝倉氏や一向宗などが対抗した。
観音寺城落城後も甲賀・伊賀を拠点として信長に徹底抗戦した。しかし、天正9年(1581)に信長によって伊賀が平定され(天正伊賀の乱)、その後承禎は豊臣秀吉の御伽衆となった。
参考:
兼山町史 森家伝記「大石神社所蔵」森家先代実録