明応九年(1500)、佐々木信綱の子孫・竹腰彦五郎尚綱が築城し当地の名前から牛尾城とも称したが、大永五年(1525)頃に大垣城となった。

天文一六年(1547)、斉藤道三は尾張勢が奪い織田播磨守が守る大垣城を攻めた。織田信秀が支援のため西美濃に進軍すると、留守の信秀の古渡城を清須守護代家が襲撃。信秀はとって返して戦い、大垣城は道三の手に渡った。

文禄四年(1595)から翌年にかけて天守閣が築かれた。初め三層で、のちに四層となった。石垣は「笑い積み」といわれ、天然の石を積み重ねてある。石と石の間に隙間があり、地震の際に揺れを受け流し、石垣全体が被害を免れる特徴を持つ。

天正地震では城は悉く転覆、全焼した。

織田信孝の没落に、池田信輝は大坂の領地から移り、大垣城を居城とした。子の元助(県史の、濃飛両国通史は之助)を岐阜城に、元助の弟輝政は池尻城に置かれた。五月末に池田氏は美濃に入国し、八月に森長可の援けを得て江渡(河渡)を攻め、曽根城主・稲葉一鉄との境界争いが起こった。一鉄は河渡北の曽我屋に出兵したが敗れ、さらに池田氏の家臣・丹波助兵衛の九郷城(現大野町公郷か)を稲葉貞通に攻撃させたが落とせなかった。最終的に秀吉の裁許で決着し、稲葉氏の所領の一部は池田氏に移った。稲葉氏の所領は総計四万〇一六七貫余(『稲葉本知新知目録』)から二万三六四〇と減少し、六川(呂久川=揖斐川の呂久から沢渡)と薮川以東の所領も失い、池田氏の所領となった。残された稲葉氏の所領は、東が六川、西が赤坂山、北がいび川(現揖斐川町付近の揖斐川)、南が岐阜街道にへの一万三〇六七貫余となり、その中に池田氏分三七六七貫余が含まれ、両者の知行地は争論解決後も錯綜していた。

番城期と石川氏の支配

慶長五年(1600)九月に陥落してのち、しばらく番城となり、松平周防守康重が城番として在城した。翌六年(1601)二月、関ヶ原の戦功により石川長門守康通が大垣藩五万石の藩主となった。三代忠総が九州豊後国日田六万石へ転封される元和二年(1616)九月まで石川氏の支配が続いた。

松平忠良・憲良の短期統治

石川氏添付後、松平忠良が下総国関宿四万石から大垣藩へ入部した。忠良の先祖は久松姓と称したが、永禄三年(1560)に徳川家康から松平姓を賜った。寛永元年(1624)忠良が没すると、憲良が同年五月に遺領を継いだが、幼少であったため、四ヶ月後には信州小諸藩四万五千石へ転封になった。

岡部氏の入部と竜野転封

次いで、丹波福知山から岡部長盛が入部した。岡部氏は今川氏・武田信玄に仕え、主家没落後は徳川家康に仕えた。小牧長久手の戦い(1584)では先陣をつとめ戦功をあげ、天正十八年(1590)下総大崎城一万二千石、慶長十四年(1604)丹波亀山城三万四千石、元和七年(1621)丹波福知山五万石と精進した。子の宣勝は慶長十四年(1609)十二月美濃守に任ぜられ、寛永九年(1632)一月遺領を継いだが、翌十年(1633)三月に播州竜野へ転封になった。

松平定綱の六万石時代

岡部氏の後、寛永十年(1633)四月二一日に松平越中守定綱が大垣藩六万石に入部した。定綱は忠良の従弟(忠良の父康元の弟定勝の次子)で、将軍秀忠に仕え慶長十年(1605)に越中守となり、同十五年下総国山川一万五千石、元和二年常盤国河内郡下妻三万石、同四年遠江掛川城、寛永二年山城淀城三万五千石の城主を歴任した。寛永十一年(1634)には将軍家光は上洛の途中に大垣城へ宿泊し、前年の水害救済のためとして金五千両を定綱に与えた。定綱は翌十二年(1635)七月に伊勢桑名城十一万石へ転封となった。

戸田氏の十万石支配と長期統治

寛永十二年(1635)七月二八日、松平定綱の後を受けて摂州尼崎五万石より戸田氏鉄が入部した。入部に際し五万石が加増され、安八・石津・多芸・不破・大野・本巣・池田の七郡内で十万石を領した。戸田氏は三河からの譜代で、氏鉄の代には江州膳所三万石から元和二年(1616)摂州尼崎五万石へ転じ、大垣へ移ってきたのである。

氏鉄は、寛永十四年(1637)の島原の乱で松平信綱とともに出陣し戦功をあげ、正保元年(1644)には岡田将監・戸田丹波守光重とともに命により美濃国郷帳と国絵図を作成した。以後、戸田氏は十一代・二百三十五年にわたり大垣藩を治め、明治二年(1869)の藩籍奉還まで存続した。

戸田氏鉄は近江膳所に十年間、攝津尼崎に二十年間の民政の成果が認められ大垣城主となった。大垣領は揖斐川、根尾川、杭瀬川などが領内を流れ、つねに水防対策を必要としていた。またこれらの河川の水源地であつ山間地域をその領内にもち、治水治山を総合的に計画実施しうる一円所領の形態をもっていた。既に尼崎領において神崎川の改修、悪水路による低湿地の排水と功績を残していた。氏鉄は、入部するとすぐに大垣から揖斐川に通ずる水路が洪水の原因となることをみてとり、

参考:
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』(愛知県、平成30年)102頁
春日村史編集委員会『春日村史 上巻』(岐阜県揖斐郡春日村、昭和五八年)119-121頁
『天正大地震誌』(飯田汲事、1987年)131、132頁
『養老町史 通史編 上巻』(養老町、昭和五十三年)161-165、223、224頁

大垣市郭町丁目
種別