野村城跡

大野郡牛洞の東。豊木村野字大谷の山上にあり。

はじめ弘安(1278-1288)の頃、野邑常陸介が在城した。應永(1394-1428)頃に放火され落城した。その頃、野村紅葉(モミジ)が初めて生まれたという。

その後、織田河内守長孝が一万石で領した。元和(1615-1624)頃の『美濃一國帳』に「 一万六石云々」とある。秀吉の頃、慶長六年(1601)より居住した。関ケ原の戦いの時には関東方だった。

のち、その子・織田河内守長則が継いた。寛永九年(1632、壬申)六月に没したが、子は無かったために跡は絶えた。ある説には、三十二年二代にわたって居城し、長則の領地は一万石、 野村、桜大門、寺内、牛洞、深坂、谷汲、名礼、有鳥、木曽屋、文殊であったという。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)
『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)815頁