元暦元年(1182)、福満城主・石黒光太郎光弘が砺波の支配を確立するにあたり、当地に出城を築いた。

庄川扇状地の末端に位置し、もとは深い沼田であったため、埋め立てして盛土の上に築城された。防御上は深沼に三重の堀を設けるなど要害であったが、地盤の脆弱さが災いして天正大地震で城は崩壊・陥没し、城主夫妻が圧死した。史料には、三丈(約9m)の沈下と記されているが、昭和三九年の新潟地震の山岸町付近、昭和十九年の東南海地震での木曽川下流の伊曽島村における地盤液状化(1m前後)と比べても大きく、城閣の崩れ落ちを含むものかもしれない。

参考:飯田汲事『天正大地震誌』(名古屋大学出版会、1987年)

高岡市
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