片端筋を長島町より長者町に至る。東は聖堂の門、北は國君(藩主)が通る門、西は学館の惣門である。源敬公(尾張藩初代藩主徳川義直)が初めて学問所を営みなさったのは大津町の南であったが、後に巾下御門の西へ移し、寛永年中(1624-1644)に明倫堂と改め、國君御筆の額を掛けた。また天明年中(1781-1789)に今の地に移し、聖堂(先聖殿の御額は源敬公の御筆。)講堂及び学館倉庫に至るまで新たに造立した。二つの祭事が厳かに行われる。

参考:『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

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