表大瀬古の東の方にある。平家の勇士、悪七兵衛尉景清(藤原景清)は熱田大宮司の婿であったため、主家である平家の没落の後、身をやつして熱田に潜伏していたことから、各所にその旧跡があると木下実聞の『厚覧草附録』に見え、八剣宮の東北の方にも「景清屋敷」と呼び慣わされた旧地がある。
『吾妻鏡(東鑑)』『源平盛衰記』『平家物語』などの記録にも、景清が熱田にいたという事は見えないが、頼朝公が大敵の余党を見逃して放置されたのは、ともに大宮司の縁者であったためであろう。『長門本平家物語』には、景清が建久六年(1195)に頼朝公に降伏して鎌倉の八田知家の宅におり、翌年三月七日に死去した旨が記されている。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)