足利義澄の館址に城を築き、永禄年中(1558-1570)九里刑部および子・三郞左衛門が居た。刑部は九里村の人で佐々木氏の臣である。天正元年(1573)十二月二十日、織田信長と戦い、八幡の黒橋で死ぬ。或いは乾甲斐守がこの城を守ったともいう。
小島で牧村に属す。岩石が突き出し、山上に満ち、湖中の奇観である。長命寺から十八町離れている。永正八年(1511)足利義澄がこの山に棲止し、八月十四日没したという。
岡山と呼ばれた往古、巨勢金岡がここに来て風景を描こうとすると、その見事な眺めは筆力の及ぶ所でないと筆を投げた。それから水莖の岡という。「水莖」は筆の名で、赤石人丸の歌に
雁金のさむくなるより水莖の岡の葛の葉色付にけり
:雁が渡来して寒さが訪れる頃、水茎の岡の葛の葉色も色付け始めた
と万葉集にあり、金岡の前にこの名があったという説もある。また筆ヶ崎、硯ヶ淵などいう所や、山上には八畳石八艘隠という巨岩がある。
参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)