安樂寺村・羽里村等諸村は、かつての小弓郷である。『和名抄』に丹羽郡少弓と見え、そのむかし朝廷へ管国より弓を奉った地である。今は小弓庄といい、郷名は廃した。『延喜兵部式』の諸國器仗のうちに、尾張國弓四十張、征箭五十具と見えてその頃まで弓を朝廷へ献じていた。古歌に詠みしをよみのはしは、今は廃れてその地が知らず。近いあたりの橋爪村や、羽黒のうちの高橋という里は、その旧名が残ったものだろうか。
『夫木』(1310)
をよみのはし
さよふけてをよみの橋を引きわたす音にぞしるきあたへ野の駒
隆源法師
小弓をを「よみ」というのは、月読神を月弓神とかく例に同じ。この歌を与えた野の駒(馬)はいかなる駒か、今は知りがたい。
荘園は奈良時代の終わり頃から鎌倉時代(8~16世紀)頃まであった農園。貴族や寺社が収入を得るために領有支配した。中央政府及び将軍から任命されて支配していたが、室町時代に諸大名による土地の押領がすすみ、将軍の権威も衰え、最終的に荘園は無くなった。
明治40年代に旧加茂郡銀行の羽黒支店として、吉野利左エ門が建設したもので整備復元したものである。この建物は「小弓の庄」と称される。国登録有形文化財。もとは犬山街道沿いにあったものを羽黒駅の東(現在地)に移築している。
現在はこの地区の市民活動の拠点施設となっている。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)