茶園の開設と増産(寛政五年-文政六年)

寛政五年(1793)に、六之井村の五十川兵次郎が茶園を二反歩(約1,983m²)を開き、次第に増やして享和二年(1802)には二町五段歩(約24,794m²)を栽培していたという。

文政五年(1822)四月には、兵次郎は山城国宇治より茶師・佐助を雇い煎茶を製した。当時は産高わずか二四貫(約90kg)であったが、翌年三二貫(約120kg)となり、年を追うごとに増産した。

西本願寺法王への献上と茶名の授与(文政七年)

文政七年(1824)、茶を京都西本願寺法王に献じたところ、茶名を「六つの井」と命名し、和歌を添えて送られた。

美濃国六つの井の里聚芳園のあるじ年ごろ茶を製してこれが銘をむつの井と名づけ、としどし都にのほせて其の気味を試みるに清冷にしてかつ甘くよく酔容の腸をそそき惰夫の眠をさましむ、菅の根の永き春のつれづれをも慰め、月雲のこと葉の莚に供してはいと興を添えぬ、その志を謝せんとてかくなむ
いく春も つめるこの芽の 名にあひて むつましかれと 祝う六の井
五十川正康家文書
製法伝授と製茶業の拡大・輸出

天保元年(1830)、兵次郎は宇治から茶師・北川久兵衛を招き、茶園を「かやの」に開き、村内の子弟に製茶法を伝授した。

やがて嘉永六年(1853)頃から村内や近郷に製茶従業者が増え、安政四年(1857)頃には横浜や四日市、桑名の商人が来て買い集め、輸出するほどになった。しかし、製造額を増やすため粗製に流れ価格の下落を招き破産者も出たが、少しずつ製造方法を改良して名声を回復し、再び各地へ売り出すようになった。

参考:『池田町史 通史編』(岐阜県揖斐郡池田町、昭和五十三年)436、437頁

揖斐郡池田町六之井659番地
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