時の上村から時山を経て江州の五僧・保月・杉村を通り、やがて多賀へ通ずる道は江州街道で、保月越ともいわれる。険しい四里程の山道であるが、時付近の村々と近江・京都の近道であった。
多賀大社参拝者はもちろんのこと、京・江州より呉服・西陣織・漆器・ロウソク等が山道を背負って運搬せられた。また時山の古老の話によると、時山の大太鼓も彦根からこの山道を打ち鳴らしつつ持ち運んだという。昭和十六年頃は、近江側から四頭の牛を一つなぎにした家畜商が下りて来たり、冬道の中を病人を大きな篭に入れて数人が付き添って担ぎ出した光景もあった。
慶長5年の関ヶ原合戦では敗戦した島津の残兵の一隊が、関ヶ原より伊勢街道を南へ走り、牧田・勝地峠・多良・時を経て江州街道に入り、時山・五僧・保月を越えて近江へ入っている。
参考
『上石津町史 通史編』(上石津町、昭和五十四年)353、354頁