北方村にある。一向宗東派、京都本山の直末で、河野九門徒である。山号は寂光山。
当寺はもと天台宗で、同郡河沼郷笠田村にあったが、その後衰廃した。長田式部卿秀實、出家して正圓といったが、仁治元年(1240)の春、親鸞聖人東国から帰洛の節、聖人の法徳に喜び、今の宗に改め終に河野九門徒の一つとなった。『大谷遺跡錄』にも詳しい。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)