源頼親五世の孫石川太郎光義(號澤田)の子に光治(號成田)がいた。承久合戦(1221)の勳功として美濃国市橋庄の地頭職を賜う。(『尊卑分脈』)市橋庄は厚見・池田両郡に在り。立政寺(厚見市橋)傳『石河系圖』光義の條に「石川太郎賜厚見郡澤田郷地頭職號澤田」と注し、その子二郎光治「承久功賜市橋地頭、地頭職」、三郎義季「市橋庄地頭職」とある。義季の子孫は廣季-光貞-光長-光盛と継ぎ、その子に義熈(市橋庄總領職)貞義(市橋庄分領主)がおり、義熈の子孫は相続して鏡島附近を領したと伝えられる。これは旧尾州藩老石河男爵家の系である。
なお、『明細記』市橋系圖によれば光治の弟光重が市橋庄に住み市橋氏を称し、大友左衞門大夫能直に仕え、その子成光(四郎左衞門尉忍甫)その子光氏(藤三郎壹忍)も、また大友氏に仕えた。その子長久(初光久三郎五郎左衛門)は北條時宗に仕へ、正應年中(1288-1293)より美濃国に住み土岐氏に仕えたという。思うに池田郡市橋庄を指すものは、これ今の市橋子爵家の系だろう。
参考:『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)423、424頁