鎌倉幕府が開かれると、京都と鎌倉を結ぶ鎌倉街道が整備され、その一部は美濃国内で東山道と東海道を結び、墨俣を通った。室町末期には街道が上宿から中町・本町・西町へと移り、町並みの姿が変化していった。

やがて、慶長年間に墨俣宿に本陣が創設される。慶長5年(1600)の関ヶ原役の際、本陣に伊達政宗が宿泊し、「伊達様御本陣」とも呼ばれるようになった。

さらに慶長7年(1602)には、東海道と中山道を結ぶ脇街道として美濃路が整備され、正式に墨俣宿が設置された。本陣は諸大名や琉球使節など高貴な客を迎える施設として機能し、宿場の中心的役割を担った。

大垣市墨俣町墨俣
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