九坪村にあり。曹洞宗、白坂雲奥寺の末寺。大雲山と号す。当寺は平田村の領主平田和泉守(『藍尻』に伊豆守とす)香火の道場で、もとは天台宗だったが、慶長九(1604)辰年に快岩和尚が再興し、その師・居雲和尚(本山雲興寺十四代の僧なり)を中興の開祖とし、今の宗派に改めた。古い位牌があり『平田寺殿前和泉守麟岳宗龍居士』とある。快岩はその頃、徳と評判で、寛永三年(1623)に雨を祈った事は自作の謡曲に詳しい。
本尊 阿彌陀の木像。惠心僧都の作。
鎭守 黒池龍神。高田寺村の龍神を雨乞の後に勧請した。黒池龍神の謡に、『諸願成就の雨降らば、寺の表に池を堀り、小島をついて宮を建て、上天下界の龍神を勧請し、すなはち龍天と名付奉り、佛法の守護神と、末代までも尊み申すべし」と作ったように、小池の中島にある。
寺宝 黒池龍神謡曲一巻、快岩和尚の自筆。奥書に曰く、
是レ龍神教化之書也。狂言綺語ニ非ズ。謠ト爲ス可ラ不ト雖モ。末代之世俗。參禪學道悟ニ至リ難シ。故ニ之ヲ謠ト成シ。意ニ念ジ口ニ謂ヒ。今生來世ヲ慰ムル之便。菩提種衆生成佛之直道爲ル可シ。是レ方便之說也。下村宗利入道章句付ケ申シ候。子細注ヲ致シ候得共。長々敷キ故。奧書此ノ如シ。三輪ニハ椙ヲ神體ト曰ヒ。立田ニハ紅葉ヲ神體ト云フ。此謠ハ雨龍神之全體爲ル可キ者也。水無月五日。
(:これは龍神教化の書で、狂言綺語ではない。謡の形であろうと。末代の世俗。禅を修め、仏道を学び、悟りに至ることは難しい。故にこれを謡として、意に念じ口に出して唱えることで、今世来世を慰める一助とする。菩提の種、衆生の成仏する直道といえる。方便(教えの導き)の説である。
下村宗利入道が章句(節)を付け、詳細の注釈も書いた。長々しいので、奧書をこのように書く。三輪明神は杉を神体といい、立田明神は紅葉を神体という。この謡は雨龍神の本体と見なすべき。水無月五日。
我法は 幾世こむはる黒池の 濱のまつ風 うたふざゞむざ
快岩義雲とあり。また自筆の板本も稀々に世に伝わる。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)