外町にある。黄檗派で、京都宇治萬福寺の末寺。山号は神護山。はじめは延寶四年(1676、辰)熊野町熊野社の社僧となったが、正徳六年(1716、申)ここに移った。伊勢湾台風で仏殿・鐘楼門等が倒壊した。平成16年再建に至り、現在は唐風の様相で近隣に類をみない赤黄色の瓦が映え、龍の天井画はすばらしい。黄檗宗とは、禅宗の一派の臨済宗の一分派で、開祖は明[みん]の隠元。

伊勢湾台風の被害を受け、住職は寺の再建資金を得る為、精進料理を提供した。梅干しの天婦羅てんぷらは 3 日間塩抜きを必要としたので、3 日前からの予約であった。また、鰻の蒲焼に似せた料理は長芋から作ったことなど、楽しいお話付きであった。但し料理の値段は高い!

本尊は正観音の立像。開山堂・鐘樓などがある。境内の天満天神社はたいへん古い社であるが、今は当寺の鎭守のようになっている。

また境内に、内藤丈草[じょうそう]の

ながれ木や篝火の空の不如帰

の句碑が立つ。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

犬山市犬山南古券
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