玉井村・三ツ法寺村の辺りの木曽川、むかしの官道の船渡である。江戸末期には廃れて里人の私わたしのみとなった。南及村・北及村は今は美濃に属す。正徹の『慰草』に、「あぢか・およびなどもおなじやうにこえすぎぬ」としるし、『宗長手記』に、「同じ國津島を立ち侍る。此所各堤を家居とす。橋あり、および・すのまた川落合ひ、近江の海ともいふべし」云々と見える。
『覽富士記』
をはりのくにおよび川にて
わが君のめぐみや遠く及川ゆたかにすめる水の音かな 堯孝法印
(:我が藩主の恵みが遠く及び(及と掛けてる)豊かで澄んでいる(住むと掛けてる)水の音かな
参考:『尾張名所圖會 前編 巻五』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)