緒川里は緒川村をいふ。小河とも書けり。『散木奇歌集』に「たまつをがはのとこなめに」とよまれしは、この里の事か定かならねど、とこなべといへる地も遠からず、彼雅康卿の「玉の緒川」 つづけられしも、玉つをがはとあるに同じ意旨なれば、しばらくこの歌なりとすべきにや。猶後考をまつ。
『夫木』
しらなみのかると見えつるは緒川の里に咲ける卯の花
後德大寺左大臣
『富士歷覽記』
十八日智多(知多)の郡緒川水野左衛門大夫爲則が在所に着き侍り、まづ此所にしばらく休息すべきよし懇切(ねんごろ)に申しければ云々
松のうへにくるてふいとのいく結び玉のを川の末かけて見ん
入道中納言雅康
同村にて造られた小さいえび。遠国へも運送した。風味美味であり、小川海老と称された。
参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)