曹洞宗に属する鶴林山長松寺。元禄7年、伝東和尚が再興されたといわれる。堂宇(どうう-殿堂)は数度の修理が施されたものの様であるが梁や柱は室町時代風の処を残している。


鉄地蔵尊がある。

尊像の高さは97.4センチ、肩巾裾張は共に27センチ、頭の廻りは47センチ、右手には鍚杖(しゃくじょう-杖で頭部に金属の輪があり音が鳴る)を執っておられるが左手首は折損している。

前面カブセ型は首から下が一型で、背面スゲ型は三型で鋳込まれている。従って背面には横に見切の跡が二条ある。縦の見切は側面よりはやや後方にひだりを造り、その上を下端まで走らせている。背面上部、横の見切のやや下方に高さ約3センチ大の把子(はし-弓のまと)の様な突起がある。右側の同位置にも同様な痕跡があるが折損(せっそん)したものではなく、鋳肌のままであるところを見ると、恐らくは光背取付部を鋳出す計画であったものが失敗に終った跡と見られる。

頭部と両の手首は鋳くるみの法を採用したものらしく、顎部には前後面ともに横のやや深い溝があり、耳朶は頭部とともに鋳出されたもので寄せの跡はなく、耳後は頭頂より縦の見切跡が通っているが肩上で側面の見切と喰違っている。右手の錫杖を執る手指は鮮やかに鋳出され、杖を通ずる穴も鋳肌のままである。この穴を同時に鋳出すものとすれば、はなはだ困難な鋳型となり到底手首は同時に体部と鋳込まれたものとは考えられず、鋳くるみによって接続されたと推測される。

体の前面で衲衣(のうえ-ぼろを縫い合わせ作った袈裟)の袖と体側との間には裾に至るまで、うすくコンクリートが施されている。それにこの像は実体鋳込で中子を用いていない様子から考えてみると、鋳込後冷却の際、体側と袖の部分は不同の収縮が起り、その為に後代に至って裂け目が生じて来た為ではなかろうか。

この像の製作年代は不明であるが、作風から見て室町時代以降のものと拝される。


参考:

東海鋳物史稿 綜合鋳物センター刊 長松寺の鉄地蔵尊 p158 吉原清行著

丹羽郡大口町大屋敷丁目
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