美濃中山

松の木蔭に駒とめて

不破郡南宮山より西関ケ原までの山続きを「みのの中山」という。西北の山に続かず中に有る山である。不破山と萬葉集に柿本人麻呂が詠んだのもこの山である。

『続古今』(文永二年 [1265] / 作者定家の没年は仁治二年 [1241])

色かはる みのの中山秋こえて また遠さかる あふ坂のせき
定家 色づく秋の美濃の中山を越えて、都の逢坂の関がまた遠ざかる

『続拾遺』不破関屋に書き付けてあった歌(正安三年 [1301])

都をは そなたと斗りかへり見て 関こえかぬる 美濃の中山
読人しらず

『夫木』冬(延慶三年 [1310] 頃 / 作者中務卿宗尊親王の没年は文永十一年 [1274])

みのの関 不破の中山雪消えて とくる氷の 関の藤川
中務卿親王

『海道宿次百首』(弘安二年 [1279] 頃)

里つゝき 柴の籬を分過きて 道もこくらき 不破の中山
参議為相 人里続き、芝の垣根を分け過ぎて、道も薄暗い不破の中山

『夫木』

忘れしな 関屋の杉の下かけに しはし凉みし 不破の中山
中務卿親王 忘れない、関屋の杉の木蔭にしばし涼んだ不破の中山。

同、夏旅

年経たる 松の木蔭に駒とめて 夕立過す 不破の中山
同人

『続草庵集』(貞治六年 [1367] 頃 / 作者二条為遠の没年は文和二年 [1353])

降る雪の 美のの中山打はらひ 越さはや君と おなし心に
二條宰相

同、連歌

雨にきる 美濃の中山越過きて 又袖ぬらす 関の藤川
同人 雨をまとい美濃の中山を越えて、関の藤川でまた袖を濡らす

同、雑

ふりはつる 我身ならすは不破の山 雪に越行く 道やしたはん
頓阿法師 老い果てた我が身でなければ、雪に越え行く道を恋しく思っただろう

『一字御抄』(大永六年 [1526] 頃)

越えやらて 我そ関守不破の山 槇立つ陰に 有明の月
後柏原院御製 越えられず我は関守となった。不破の山の槇の木の間に有明の月よ。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)