安八郡。
秀吉頃、九茂三郎兵衛安職(のち道和入道と称す、父丸毛兵庫頭)が、◎大墳より移り二万石で領した。三郎兵衞は『明細記』に安職或云兼頼、『關ケ原合戰圖志』に親長などと書かれている。
慶長五年(1600)八月関ケ原の戦いの前哨戦で、市橋、徳永、横井等が攻め取った。のち市橋下総守が城番となった。
参考『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)27頁