延文一年(1356)に土岐頼雄が夢窓疎石の法嗣竜湫周沢を招いて開山第一世として開基した。大隆寺ははじめ天竜寺の末寺で、頼雄の死後弘和二年(永徳二年)(1382)に南禅寺派に属し同寺慈聖院の末寺となった。
土岐頼雄は、土岐氏初代頼貞の子、二代頼遠の子・頼清の子で、三代守護・頼康の弟に当たる。揖斐の城山に拠った。僧・竜湫は臨川・建仁・南禅・天竜の諸寺を歴住して天竜寺一五世となり、五山文学者としても著名で文集を『随得集』という。
頼雄は揖斐蔵人・出羽守などと称し権勢を誇ったが、天授六年(康暦二年)(1380)五月二日病死して大興寺に葬られた。墓碑銘に「康暦二庚申五月二日大興寺殿全羽州大守定厳祐禅大居士」とある。
参考
『揖斐川町史 通史編』(揖斐川町、昭和四六年)113、114頁