成田山貞照寺は、日本で最初の女優である川上貞奴が私財を投じて開創した寺です。

貞奴(旧名:小山貞)は明治4年7月18日に東京で生まれました。日本橋両替商越後屋の12番目の子として生まれるも、生家の没落により7歳で芸妓置屋の養女になります。日舞に秀でた貞奴は伊藤博文や西園寺公望などから贔屓にされ日本一の芸妓になりました。自由民権運動の活動家でオッペケペー節の川上音二郎と出会い結婚した後、川上一座としてアメリカやヨーロッパで日本舞踊を披露し、ジャポニズム風潮を広め日本人女優第一号として成功しました。

1911年に川上音二郎が死去後、舞台から引退します。その後、福沢諭吉の娘婿で電力王の福沢桃介と結ばれ、1920年頃に名古屋市内で同居、別荘として萬松園を貞照寺の前に置きました。電力の鬼、松永安左エ門は後継者です。桃介は大同電力を経営し木曾川開発を推進し恵那の大井ダム(現:関西電力大井発電所)の開発に尽力しました。貞奴は赤いバイクに乗り、現場を訪れ桃介について谷底まで向かったという逸話があります。桃介が18歳の時、野犬に囲まれた馬から落ちそうになった貞奴を、桃介が助けたことが出会いのきっかけでした。

参考:関西電力 木曾川開発の歴史

貞奴は、大本山成田山新勝寺(千葉県成田)の不動明王を信仰してきました。昭和8年(1933)に創建された成田山貞照寺の本堂は、成田山新勝寺の伽藍を模しており、周囲の八面の堂羽目板には貞奴が不動尊信仰により救われた霊験記が彫刻されています。成田山貞照寺は東海36不動尊霊場の第30番礼所となり、諸堂伽藍は文化庁の登録有形文化財に指定されています。

貞奴は1946年に熱海の別荘で死去後、貞照寺に埋葬されました。

現在、成田山貞照寺は日本の女優第一号である貞奴に因んで諸芸上達や芸能を願う多くの人々が参拝に訪れ、本尊不動明王の御霊徳を示す寺として信仰を集めています。石川さゆり、市川團十郎(別名海老蔵)などが参拝しています。

昭和の職人の仕事を見ることが出来る。

参考:
寺の看板

各務原市鵜沼宝積寺町丁目
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