関ヶ原合戦直後、家康の命により領主竹中重門は戦場を整理し、高さ約2m、直径約10mの円墳を築いた。文化14年(1816)その傍に近藤篤撰文の首領墳碑を建てた。昭和15年、徳風会の主催により、徳川家が建てた名古屋護国院の大日堂と門を移建し、東西両軍戦没者の供養堂とした。国指定史跡。
関ヶ原町『関ヶ原町史 通史編別巻』(関ヶ原町、平成5年)6頁