問屋は、公用継立や公用宿泊の指図、宿内取り締まりなど宿方業務の一切を行った宿役所であり、役所は問屋場、人々は宿役人とよばれた。問屋場には問屋役・年寄・帳付け人馬指図・常使・七里(飛脚)などが詰めていた。

問屋役は二人で務め、宿泊の本陣や、村方役人の庄屋を兼ねた。本陣の保々市郎兵衛と脇本陣の保々長左衛門がこの三役を世襲し、両家に事故のある時は、村瀬半左衛門・森川清左衛門・渡辺利助の三家から庄屋・問屋が選ばれた。

宿役人には元武士出身者が多く、保々氏は木曽衆付属の元武士で、三百石を給され大坂冬・夏の陣にも一党を率いて参加した。明暦元年(1655)に故あって三十石の木曽給人となり、明治維新まで続いた。

年寄は問屋の補佐役で毎日問屋場へ詰め業務が遅滞なく行われるよう処理する。村瀬半左衛門・森川嘉六郎・渡辺理助・小木曽文左衛門の四氏が世襲した。

帳付け人馬指図は宿内の適任者が担った。帳付は宿方の収支経理など文書事務にあたり、初めは一人で幕末は四人へ増えた。人馬指図は人足指図・馬方指図各二-四名が担った。

各役人は半月または一日交代の勤務で有給。

参考:『瑞浪市史 歴史編』(瑞浪市、昭和四十九年)758、759頁

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