江戸時代には門前町東側(大須観音の近く)にあった。曹洞宗、春日井郡三淵村正眼寺の末寺。山号は靈松山。

当寺は應永年中(1394-1428)の開基で菩堤寺と号し、葉栗郡竹ヶ鼻村(今は美濃國に属す)に在った。玄翁和尚の派下だったため、那須野の殺生石にまるわる妄信によって、曹洞一派から追われ、終に廃絶したが、文亀二年(1502)越前の國永平寺の大倫和尚と、正眼寺の宣叟和尚が協議して再興し、天鷹和尚の派に改めて、霊松山善篤寺と改号し、大倫和尚を開山とする。

その後、天文年中(1532-1555)清須に移し、慶長十五年(1610)再び門前町へ移した。むかし菩提寺といった頃、室町将軍家より寺提を寄附されたが、累年の騒乱に廃絶したという。幕末頃は末寺十二宇が門前町付近に立ち連なり、大寺となっていた。

  • 本尊:釋迦の木像。
  • 禅堂

参考
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市千種区城山町1丁目72番地4
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