東掛所境内がまさにその跡である。

織田備後守信秀は名古屋の城にあったが、天文三年(1234)嫡男信長が誕生ののち、名古屋の城は信長に譲り、自身は古渡に城を築いて移住した。信秀の没後は廃城して田畑となったが、そののち掛所(別院)の境内となった。

『信長記』には、信長公がここで元服されたことを記す。また宗牧の『東國紀行』には、禁裡(朝廷)の修理の義を宗牧が東國へ下るついでであるとして、宗牧に仰せ添えられて、ここの城主信秀に勅宣を伝えたよしを記す。ここは戦国の有さまが思い起こさせる。詳らかな事は紀行に譲りここでは略す。

参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市中区橘2丁目6番
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