織田常寛。日置の人で、掃部忠寛の父である。斯波家の世臣で、尾張下四郡の政務を掌り、那古野合戦の時も、織田信秀の方に属して、今川家を滅ぼした。天文十三年(1544)に宗牧の『東國紀行』に、那古野で連歌を興行したところ、瀧坊(織田丹波守)・喜多野右京亮など来て一座したことが見え、宗長の『手記』にも、織田丹波守興行連歌に
はるはたゞ あかす八千代も こよひ哉
と記して、連歌を好んだ人である。
東雲山を開基した。ここでも詳しく記す。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)