加治田城主佐藤紀伊守は信長に内応し、信長の美濃攻略で永禄8年(1565)8月25日の堂洞城の戦い、翌日の加治田合戦で嫡子佐藤右近衛門が討死した。信長の命で斎藤新五が養子となり加治田城主となって、隠居し弘治3年(1557)に佐藤家の菩提寺として大徹法源禅師の開山で龍福寺を創建した。佐藤紀伊守は、家督を養子斉藤新五に譲った後も権力を保ち、永禄10年(1567)から元亀三年(1572)にかけて、龍福寺に寺領等寄進の六通の書状を残している。
本堂
寺門と鐘
寺の奥の山道の先に加治田城主佐藤紀伊守の墓がある。
寺の横の山道を通る
砂防ダムの先にある。
池田恒興の遺品の犬山城から貰い受けた槍・鞍・轡・鎧が寺宝として保存されている。
参考:
富加町 龍福寺とその文化財