不破郡。今は妙應寺の境内である。

ここに拠った長江氏は、鎌倉権五郎景正の末裔である。景正の子・景継、その子・義景はのちに「長江」を称して頼朝に仕え、義景の子・師景と続く。

その子・長江四郎左衛門平秀景(行阿と号す)は、鎌倉北條九代頃に相模より今須に移った。青坂明神は景正の霊を祀り、秀景が造営した。

長江與市頼景、長江四郎左衛門景助(行昇と号す)と続き、長江八郎左衛門重景(行妙高峯と號す)は、那須野殺生石により大徹和尚が関東下向の時、重景の亡き母の夢の告げを受けて、重景が妙應寺を造営した。

長江左京亮景康(行善と号す)、長江康景(千峯行秀と号す)、長江高景(高岩行順と号す)、長江四郎左衛門景秀(行春と号す)、長江與市元景(行禪と号す)と続く。應仁二年(1468)応仁の乱で、斎藤妙椿が今須城を攻め、十月二日、景秀、元景父子は戦死した。

秀景以来のことは妙應寺の記にある。位牌も有り。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)

不破郡関ケ原町今須2580番地3
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