古城跡の西北の方にあり。天正・慶長の頃(1573-1615)、喜左衞門という者がここに住んでいたが、元和・寛永の頃(1615-1644)まで生存し、よくむかしの事を覚えて居たので、国祖君(初代藩主徳川義直)が鷹狩した時に、召してこのあたりの事実を尋ねられ、記憶のまゝを申し上げれば、御喜悦斜めならず。また、樹木の大柿を献上すると、殊に感心され、宅地の租税を除き樹木屋敷と名付けなさった。

さて、喜左衞門が申し上げた信長公・秀吉公の時の古事を記録したものを、『祖父物語』(朝日物語ともいう)として数巻あったが、今は大多数が無くなり、流布するものは只一巻のみ。世の人は殊に褒め称え、『續羣書類從』にも載せてある。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

清須市清洲