越前・尾張・遠江三カ国守護職の斯波家は、応仁・文明の乱の過程で越前守護職を配下の朝倉氏に奪われ、文亀元年(1501)から三年(1503)までに駿河守護今川氏親に責められ遠江からも撤退した。その後、足利義材が亡命先の周防から入京し再度将軍位に就くと、遠江守護職は今川氏親に与えられた。その頃斯波家の家督はその子義達に移り、永正7年(1510)から三年に亘って今川軍と戦った。斯波義達は遠征し遠江国人井伊次郎以下の遠江国牢人衆に守られ三岳城に依っていたが、城を落とされ、尾張に戻った。

愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』(愛知県、平成30年)14、15頁

浜松市浜名区引佐町三岳
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