葉栗郡及び丹羽郡の村民は、村毎に蚕を飼う事が盛んで、多くは養蚕を年貢の代わりとしていたため、田圃に桑を植える村が多かった。この辺りの蚕は、信州の種を良しとして、地種は用いない。信州種を飼い始めたのは、天和年中(1681-1684)に信州上田在住の宮下市兵衞・樋口嘉作という者が、当郡宮田の三輪某宅に滞在して種を広めたことで、もっぱらこれを用う。なので江戸末期頃は種を商う者数十人が来たというが、みな三輪某宅に逗留して種を広めた。この三輪氏は、宮田天王社を勧請した家筋で、旧家である。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)